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    時間について (28/01/2014)


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      時間について  (  1      4     )



 1.はじめに
 

    時間とは何でしょうか。時間とは過ぎ去る何かです。しかしながら、人間は時間の中で何らかの欲望を抱き、そのためにベストを尽くします。そして彼の人生を変えるのに、欲望のために成功したり、逆に失敗したりします。その間にも時間は過ぎ去っていきます。時間とは何でしょうか。私はBBCドキュメンタリーで宇宙の時間について放映しているのを見ました。若いキャスターが我々の銀河を含む宇宙の時間というものは決して永遠に続くものではない。宇宙はとてつもなく遠い時期に消滅するのであり、それゆえ人類や地球上の生物、我々の銀河そして宇宙のすべてにおいて、それらの生の時というものは制限されている。それらは決して永遠に生きることはできない。天文学者でもあるそのキャスターは自慢げにそう説明していました。
 しかし、宇宙空間とは一体なんでしょうか。宇宙空間に果てはあるのでしょうか。その境界の向こうには何が存在するのでしょうか。時空に関する探求はこうして堂々巡りにならざるをえません。時空に関する議論を十分満足して終えることはできません。カントが純粋理性批判で説いたように、我々は二律背反に陥ってしまいます。
 私は時間について哲学的に考察しようとは思いません。各々の人々の普通の日常生活において時間とは何なのかを考えてみたいと思います。例えば、私の場合、千葉県庁を退職して現在63歳です。県庁で働いていた時は、私の自由な時間はほとんど職場での時間によって制限されていました。しかし今、私には職場労働者時代よりももっと自由に使える時間があります。加えて、私は時間について以前よりもより多く理解できるようになりました。さらに認知症を煩っている父にとっての時間は私にとっての時間と違います。そういうわけで、私は人それぞれの生活の視点から、時間について考えたいと思ったのです。
 光陰矢の如し。私は以前より自由になりましたが、様々なやるべき雑用を今も抱えています。例えば父の介護や、家の維持管理や、畑での作物の栽培などです。また時折タラにも出かけなければなりません。一週間に一度はインターネットでインドの友人たちと交流したり、友人、親戚や外で働いている子供たちと会ったりすることもあります。私の一日の典型的な生活は次の通りです。すなわち、7時に起きて、犬の散歩をして、妻が用意した朝食を食べ、父に薬を飲ませ、11時頃までは妻と一緒に庭や畑の仕事をします。
 その後、妻が実家の仕事に出かけた後、私は父との昼食の準備に取りかかり、出来上がったら父と一緒に昼食をとります。午後からはサンスクリットやエスペラント、南インドの文化などについて勉強します。2時には父を促して犬の散歩をさせます。その後、父におやつを出して、私はヨガの体操を40分ほどします。そして部屋で勉強したり、畑を耕したり、犬にえさをやったり、父の血圧を測ったりします。その後、妻が帰宅して夕食の用意をするまでに、洗濯物を取り入れて整理したり、風呂を沸かします。夕食後は父の明日の朝食を準備して、ようやく私の一日の日課は終了します。その後妻とテレビを見たり、自分の部屋でパソコンをいじったりして、11時には床につきます。
 これが私の典型的な日常生活です。これが時間というものです。そういうわけで私はそれらを詳しく述べました。起きて、犬の散歩をして、妻が仕事に出かけたら、すぐに父の昼食の準備をしなければならない。昼食後もいろいろとやるのですが瞬く間に夕方になってしまいます。そして夜がやってくる。かくして時間は日々を通して飛去るのです。
 私の妻は韓国ドラマ、特に「トンイ」が好きです。私も彼女と一緒に見ます。そしていつも、そのドラマをつい数日前に見たように思います。しかし実際には一週間前に見たわけです。このように時間は各週を通して飛去るのです。
 私は定期検診のために父を病院に連れて行きます。私はいつも父を二三週間前に連れてきたように思います。しかし実際には一ヶ月前につれてきていました。こうして時間は各月を通して飛去るのです。
 私の母は今年の1月に亡くなりました。しかし私は彼女があたかも数ヶ月前に死んだように思えます。実際は彼女が亡くなってからもうすぐ1年が経ちます。かくして時間は各年を通じて飛び去ります。そしてこれらの期間中、我々はいつのまにか年老いていくのです。このように時間はこれら時間の単位を通して飛び去ります。光陰矢の如し。時間の本質はこうした普通の日常生活を掘り下げていくことなしには明らかになりません。日常的ではない特異な出来事に関する時間も、この日常的な時間を基礎にして考察されるべきだと思います。次回は、さらに深く時間について考えていきます。  
                                                   (08/12/2011)  




 2.父にとっての時間
 

 認知症を患っている父にとっての時間とは、どのようなものなのでしょうか。自ら、今日のうちに何をしなければならないのかという時間意識はもはやないようです。私が一週間の予定表を作ってあげるのですが、それを見て今日の予定を考えるということはありません。彼がまだ元気なときに培った日々の習慣的な記憶が主に彼を動かしているようです。6時半頃起床するとベッドにちゃんと寝間着を折り畳み、新聞を郵便受けから取ってきて、牛乳とパンとゆで卵をレンジで温めて、りんごをむいて朝食をとり、畑で落ち葉を拾い、昼食までは休息するというパタンは、毎日流れるように行います。昼食後は昼寝をし、私が2時過ぎに犬の散歩を促すと、散歩に行き、3時過ぎには郵便受けから夕刊を取り、読んだ後風呂を沸かして入り、夕飯を待ち、夕食を終えると一時テレビを見て、8時過ぎには寝室に入る、といった生活を、認知症を患う前と同様に続けています。
 しかしそのような日常的な行為は無意識に行うようなもので、それ以外の自由な時間というものを意識することは、もはやありません。特にやることのない時間はほとんど眠ることに費やされます。起きて自由にやることは、部屋の中を無性に片付けたり、庭に出て落ち葉や草を取ったり、飼い犬に寄り添って何かを話しかけているくらいです。体は血圧が高く薬を飲んでいるくらいで、特に悪いところはありませんが、何かで動くと、疲れた、疲れたを連発するようになり、やはり体力は衰えてきているようです。しかしこれは生物一般にインプットされている寿命という遺伝子のようなものの仕業であって、いつか訪れる死を止めることは誰にもできません。医学の発達によって寿命が延びたと言ってもたかが知れています。我々は、いつかは死ななければならない存在です。父はそこへ向かって加速度的に進んでいるようにみえます。
 最近は時間を先取りするかのように、何もかも早く終えようとしています。例えば夕方になると早めに雨戸を閉めて夜を引き寄せます。風呂に入ると、もう夕食も忘れて寝るだけと勘違いすることがあります。夕食をとっても、7時半を過ぎると寝室に入ろうとします。まだ昼間なのかと時間の経つのが遅いことをもどかしく感じているようです。面白いのは庭の落ち葉を拾い尽くすと、今度はまだ紅葉しているブナや紅葉の葉っぱを手でつまんで木から取っているのです。おじいちゃん、まだ紅葉がきれいだから落ちたのだけ拾えばいいよ、というと、ああそうかと上の空に答えます。まだこれから実を付ける大きなブロッコリーの茎も実を一つとっただけで、根っこから抜き取り、穴を掘って埋めてしまいます。何もかも先へ先へと進めて、早く終わりにしたいかのようです。といってある特定の欲望があって、それを追いかけようとしているようにも見えません。
 いつもの植木屋が来ると和やかに話しかけていた父ですが、今では彼らが作業したり、休んでいるところを通り過ぎても、彼らには声をかけないどころか、彼らの存在さえ気づいていないかのようです。意識の視野と言うか、照射する範囲も狭まっているとしか言いようがありません。すぐ間近な記憶と昔の記憶が断ち切れているかのようです。今やったことはすぐ忘れてしまいます。ですから持続する意識的な欲求というものはないのです。チューリップの苗を買いたいから一緒に店にいってくれと父から言われたので、私が用意して出かけようとすると、一体なぜ出かけるのだと言われてしまいます。
 このような父の時間の過ごし方は何を意味するのでしょうか。現在の出来事の記憶が失われると言っても完全にそうなるのではありません。私がしつこく、厳しく教え込んだらそのようにやることもできます。例えば下着類は風呂に入る前に洗濯機に入れるように何度も言うと、新たな記憶として、数日間自らその通りにしていましたが、一時するとまた昔の習慣に戻って、風呂場で、自分で適当に洗って、干してしまいます。時間の中に新たな記憶を確実にインプットする意志がないのです。もちろん一般的な感情はあります。あまり私が怒ると、本気になって怒り返します。食欲もあります。最近畑の大根を、いくら注意してもやたらと引き抜くのです。父は大根おろしが好きです。それで毎日食事に大根おろしを添えてやると、畑の大根を引き抜くことはやめるようになりました。人間としての感情はある。体も健全だ。しかしそれらが意識的な行動として、ある目的に向かって一体化はできないのです。
 父は、もう自分は90になるからボケるのも当然だと言うのが口癖になりました。私はある意味でそれは正解だと思います。認知症はある特化した傾向ではありますが、ボケは歳とともに誰でもたどる道筋でもあるのです。父は人には、息子夫婦がよく面倒を見てくれるので助かると自慢げに言います。こうして父の時間は他人の時間に依存して生き続けているのです。もちろん私は彼の時間の意識を彼と同じように感じることはできません。しかし今父が誰の援助も得られなかったとしたら、父は自ら生活していくことはできません。しかし彼は生き続けています。彼の時間が彼を援助する人々の時間と絡み合っているからです。私は介護する家族として彼の一日を見守らなければなりません。それだけでも私は彼の時間と絡み合って私自身の時間を維持しているのです。
 それと同時に私は息子として、まだ元気であった時期の父を知っています。父の過去の時間は私にも共有されているのです。そして父の現在の時間とこれからの時間は、私にも同様のことが起こるかもしれないという考えをもたらします。しかし、私には、父と違って、まだ身も心も意識的に何かができるという時間が与えられています。そこで自分には何ができ、何が残されているのか。こうして私は父の時間を見守りながらも、残り少ない自分の時間の推移にも関心を持たざるを得ないのです。                                    

                                                                                                                                 (01/01/2012)  

 


3.  意識せざるを得ない時間  

 時間は走馬灯のごとく過ぎ去る。私は一回目にそのような私たちの時間について具体的な日常生活の推移として述べてみました。二回目に、私は私の日常の時間と父の日常の時間、そしてその交わるところの意味を述べてきました。父は早く日が落ちないかと、早く過ぎ去るどころか逆になかなか終わらない一日に、もどかしさを感じていました。時間はその人の意識のありようによって、その早さを変えてきます。今回はこれら様々な日常のなかでなぜ時間を意識せざるを得ないのかを考えてみます。  

 もちろんここで言う時間は、客観的な時間、つまり地球の自転による時間ではありません。人々がそれぞれに意識する時間のことです。地球の自転の時間やそれをもとに我々が取り決めた時計の時間は、宇宙の原理や運動、生成と消滅の概念とも関連してきて、それだけを今、ここで扱うことはできません。しかしそうした時間についても、我々の時間意識との関連で、そのうち掘り下げていけたらと思います。  

 昔、多くの日本人は農民でした。多くの日本人は生活を維持していくために米を作っていました。田を耕し、水をはり、苗を植え付け、稲を育て、収穫する、という一連の作業を毎年行ってきました。これはまさしく地球の自転の時間にそった生活でした。そして毎年行う田植えと収穫のときの村をあげての祭りは、神に対して、無事収穫できることへの期待と感謝の祈りを表すものでした。  

 こうした祈りが祭り事として行われてきたということは、逆に天候の不順や社会的な争い等による凶作や不作に襲われることも多かったことを示しています。そうした災いを防ぐために、農民たちは毎年の祭り事を欠かさないとともに、日々様々な工夫をしてきました。雑草を駆除したり、水の管理を徹底したり、害虫の防除を行ったり、日々田んぼを見回り、あれもこれもやらなければならないことを、算段し、日々を過ごしてきました。何かをしなければ収穫の恵みは与えられない。何かをしないと幸せな生活は送れない。そのために時間を有効に使わなければならない。そういう意識で多くの農民は生きてきました。毎年の家族の幸せな生活のために、様々なことを配慮し生きていくということ。それが彼らの時間意識を構成していました。極端に言えば、人間の時間意識は災難や生活の不安をぬぐい去るために存在してきたとも言えます。  

 では、災難や生活の不安のない人間に時間というものはどのように映るのでしょうか。前回述べたように、私の父の時間には災難や生活の不安に対処するための意識が希薄になってきていることは確かです。もはや父にとって時間とは地球の自転にそった物理的な時間しかないようにも思えます。そのような時間さえ感じなくなり、昼と夜を混同することすらあります。夜中に突然起きて、着替えを済まし、シャッターを開けて新聞を取りにいこうとしたこともあります。そこには意識的な意図は何も考えられません。  

 しかし多くの人々にとって、災難や不安は人生の関心事であり、彼らの時間は意識的な意図で張り巡らされています。そうしなければ思うように生きてはいけないからです。我々は日常的な悩みや課題には事欠きません。例えば私は食べ過ぎや疲れるとすぐ口内炎ができます。そうなると二週間ほど痛みに悩まされます。したがってそうならないように普段の生活の摂生と適度な運動、それに口内を清潔に保つことは大きな日常の関心事です。また最近は雨が降らないことが多く、せっかく植え込んだタマネギの生育が思わしくありません。それで、時折根まで染み通るように、200本の苗にたっぷりと散水しなければなりません。これは結構な労働です。  

 非日常的な課題はどうでしょうか。それは日常的な課題と違って、一人一人が自分にあった自己実現を図るための課題と言えます。私の場合、こうして私のホーページを作り、そこに私が今までに経験したことを糧に、他の人々に読んでもらえそうなことを書こうとしています。しかし果たしてそれが正しいことなのか、単なる老後の、自分なりの慰めに過ぎないのではないのか。こんなことを書いても何にもならないのではないか、しかし書くのならやはり本当に書くべきことを目指して書かなければならないだろう。そういう疑問を常に持ちながら、時間の中で四苦八苦しているのが実際の姿なのです。  

 過去をさかのぼれば、時間に追われる苦い経験はつきることなく思い出されてきます。父の仕事の関係で私は小さい頃から各地を転々としました。ある地域で友人もでき土地に慣れ親しんだと思ったら、また別のところへ移住して、そこで慣れ親しむための時間との戦いが続きました。学校では誰でもそうですが、期末試験などの時期になると、早くこの時期が終わって解放されたいという気持ちで勉強したものです。青年の頃の最大の関心事は異性でした。好きな女性に思いを打ち明けるために、どれだけ苦労したか分かりません。高校時代、片思いの女性に朝方校門の前で待ち伏せて恋文を渡そうと決心して、それを実行するまでの時間は、もう死ぬような思いでしたが、結局相手にもされず終わってしまいました。  

 また、自分の心のひ弱さや傲慢さに後で気がつき、激しい後悔の念に襲われて、もう二度とそのような自分にはならないと決意して人生を送ろうとしても、時がたつとまた同じ過ちを犯してしまうという悪循環も経験しました。しかしこれらは今思い出すとどうしても通らなければならなかった長いトンネルのようにも思えてきます。失恋や受験地獄や病気や貧困、不当な仕打ち、そして自責の念など、皆さんにもなかなか抜け出せない時間のトンネルの中で戦ったそれぞれの辛い思い出があることでしょう。  

 しかしこのような苦しい思いや課題がなく、私の父のようなかたちで老いることもなく、もしもすべてが思うように行くとしたら人間の時間意識はどうなることでしょうか。SF作家のハインラインに「メトセラの子ら」という作品があります。人為的な淘汰によって何百歳と歳をとっても老化しない人間たちが、彼らを嫉妬する人間たちが住む地球を脱出せざるを得なくなり、宇宙船に乗って、永住の地を求めて宇宙の星々をさまようのです。宇宙船の船長、ラザロス・ロングは、ある星に宇宙船を到着させます。その星ではあらゆる食料が自由にいつでも手に入る木々で満ちていました。人々はただただ木々から食料を得て食べるだけの生活に満足しました。それを見たラザロス船長は、この星では我々がダメになると考えて、全員を宇宙船に戻して別の星へと彷徨っていくのでした。宇宙の時をさすらう人類は、安住の地を選択することによって、時をさえも失う危険性に遭遇するのです。  

 食料という欲求の充足だけではありません。人間の他の欲望、愛欲、所有欲、権力欲や名誉欲もそれが充足された段階で、我々は時の狭間に落ち込んでしまい、再び時の流れの中で戦うことができなくなります。あるノーベル賞作家の作品で私が感動した小説は、彼が賞を得る以前の、彼の苦しい時代の作品でした。その作品が評価されて賞をもらったのですが、賞をもらってからの彼の作品には何ら読むべき価値のあるものはありませんでした。彼の時間は、人々からいつまでも称賛されるという権力を手に入れてしまって、ある意味で留まってしまったのです。ある著名な文芸評論家が何かで言っていたのを思い出します。有名になるとか、マスメディアや大衆に称賛されるとかになってしまえば、その時点で彼は歴史に敗北してしまったことになると。  

 大衆はいつの時代にも著名人を創出し、彼らを支え、彼らを葬り、こうして民族の歴史をかたちづくっていきます。しかし人間の本来の時間は、一人一人の時の流れの中での戦いに生き続けていくのです。有名になりたい、高い地位につきたい、愛を獲得したいといった欲望は、それが実現されたら自分はどんなにか今までの苦労から解放されて、安堵するだろうという自分の外部へのむなしい期待に過ぎません。自己の内部に本来の自分を見いだしていくという自己実現の絶え間ない作業こそ、一人一人に与えられた時間との格闘なのです。それ故、順風満帆な状況を獲得した人にとっては、もう昔の本来の時間の流れに身を置くことは困難になることでしょう。  

 しかしながら一生を通してそのような状態が続く人はまれでしょう。そのような状態は、いつかは途絶えて人は誰でも一人きりで死に向かい合わなければならないからです。それまでは、時間に追われるということが、時間に生きているということです。もう一日が、もう一ヶ月が、もう一年が・・・そうしたなかで、人は、自分の限界と意義を知り、死に向かって、残り少ない時間を生きていこうとします。    

 

  旅に病んで、夢は枯れ野を駆け廻る     

 

 芭蕉の辞世の句とされていますが、しかし本当に死の床に病んでいたら、夢でさえ駆け廻ることはできません。夢でも枯れ野を駆け廻ることは、彼の生き生きとした時間そのものを表します。しかし死の間際になったとき、人間の時間は急速にその歩調を弱めます。ヴェーダで言う四住期の最後の遊行期も、人間の時間への意識がかすかになってきた時期です。その時期の人間の意識は、悟りを開いた人間としての、たいそうな意識ではないと思います。それはまさしく私の父のような時間意識ではないでしょうか。  

 だが私は父の本当の時間意識を知ることはできません。だめだねえ、と、もはやほとんど新しいことを覚えることのできない自分を嘆いている時もあります。また、もう歳だからねえ、と自分の現在を周囲の人間に容認させようとする時もあります。このような時の父は、まだ時間の中でそれなりに生きていこうという意欲が感じられます。しかし私は時折、私をうつろに見つめる父のまなざしに出会うことがあります。そのまなざしは逆に私の日々の時間との戦いを串刺しにするような、鋭いまなざしに思えてくることがあります。いつも、やるべきことや課題を見いだし、それに意味を持たせ、父にもその範囲で生活しろと強制する自分。父は、はいはいとそれに従いながらも、私の知らないところから、時間に過敏な者たちの世界を見つめているのかもしれません。                              (09/02/2012)

 

 


4.  他者との出会いと時間  

 私が職場に勤めていた頃、いつも課には何人かアルバイトの女性がいました。既に社会人の娘さんがおられるおばさんのアルバイトの方は、仕事が終わった後の我々の飲み会によく参加していただきました。ある日の飲み会で彼女が面白いことを言うのです。彼女には30年来、毎日ひとときも忘れることのできない男性がいたそうです。そして10数年ぶりにたまたまその男性に会うことができたらしいのです。そうしたら頭がつるっぱげで、昔のイメージとはほど遠い彼を見て、あらまあ、と笑ってしまった。それでなんだか今までの気持ちが吹っ切れたというのです。その後、おばさんにとってその男性は今までとは違った存在になったのか、あるいは今までと同じように思い続けているのかは聞けませんでした。それこそおばさんにさえはっきり答えることはできなかったことでしょう。それはおばさんの時間と男性の時間がどう絡み合って今日に至ったのかという、他者との時間の絡み合いの神秘が関わっているからです。  
 30年間一人の片思いの男を思い続けたということは、決して異常なことではありません。かけがえのない異性と出会い、その異性と一緒に生活することを夢見て思い続けるということは、むしろもっとも普遍の人間生活のあり方と言ってもいいでしょう。何故に彼と出会ったのか。どうしても彼でなければならないのは何故か。しかし彼に思いを寄せる人間は自分だけではない。他にも自分が彼と一緒になるためには、様々な乗り越えなければならない障害がある。それでも彼を忘れ去ることは絶対できない。こうして、彼への思いは彼女の日々の時間意識のなかで大きな位置を占めていくことになるのです。  
 この場合、彼の方が彼女に対して抱く思いの大きさによってお互いの時間の絡み合いは異なってきます。彼の方が全く彼女に興味がない場合の絡み合いの度合いは当然少なくなります。しかし彼女の思いが一方的に強い場合は、何らかの形で彼の時間のうちにも彼女の時間は絡んでくるのです。  
 源氏物語の六条御息所に見られる源氏に対する怨念は、もはや彼女に対して思いを抱かなくなった源氏に対する彼女の強い思いが、源氏や源氏の新たな女性に対して怨霊として現れでたものでした。思うものの日々の、持続的な強い思いは何らかの形で思いの対象やその周辺の時間に絡んでいきます。  
 トーマス・マンの長編小説「ヨセフとその兄弟」では、女性の怨念や欲情はもっと凄ましいかたちとなって主人公のヨセフに迫ります。エジプトの宦官として性的に不能な夫を持った絶世の美女ムト・エム・エネトは、自分の家の奴隷であった美貌の若者、ヨセフになみなみならぬ思いを抱き、苦悶するのです。彼女の凄まじい欲情に、ヨセフの時間は完全に征服されようとします。しかし間一髪という時に、ヨセフはムト・エム・エネトを振り切るのです。第3巻「エジプトのヨセフ」でその場面をマンはこう表現しています。


「ヨセフが最後の土壇場に来て身を振りほどいて彼女から逃げ出すことができたのは、父の面影を思い浮かべたからであった。しかしヨセフが部屋の一隅に見たと思ったのは、まとまった個人的な特徴を備えた姿ではなかった。彼はむしろその精神の中に、その精神をもってみたのだ。それは象徴であり、警告の像であって、むしろ広くかつ普遍的な意味での父の像であった。その顔は心配そうにヨゼフの方を伺い見ていた。」


 味わい深い表現です。ヨセフが逃げ出せたのはヨセフの自由意志ではない。ヨセフの時間を決定づけたものは、神秘としか言いようがない。何故にその時、ヨセフに父ヤコブの面影が現れたのか。マンはそのようなヨセフの運命を神話として旧約聖書の壮大な時間の中に置くのです。ヨセフ自身にとってはどちらに転んでも仕方がなかった。彼女のもとにとどまっても仕方がなかった。しかし彼の時間はそのようにはならなかったのです。何故か。何ゆえに父の面影が警告の象徴となって現れいでたのか。誰にも分からない。
 そして一方、ヨセフを我がものとすることのできなかったムト・エム・エネトの悲嘆はいかほどのものであったことか。しかしマンは次の第4巻「養う人ヨセフ」で、聖書では悪女扱いにされたムト・エム・エネトを救済するのです。不幸な恋に沈んでいた彼女は、とてつもない悲嘆にくれたという事実から、何物にも代え難い自覚を生み出すことになるのです。彼女には悲嘆から回復する強さがありました。彼女に深い心の傷を与えたヨセフに彼女は感謝さえするのです。彼女は回想します。自分が狂おしくもヨセフの思いにふけっていたことが、ヨセフの時間を引き寄せ、ヨセフを苦しめていた。ヨセフだけではない、ヨセフの時間の中に存在する親族、友人、その他諸々のものを私は私の時間の中に引き寄せようとした。そしてそれは幾分成功したのだ。でもなぜ私はあのとき、彼の前に立ちふさがらなかったのか?そうすればいとも簡単に彼を自分のものにできたのに。なぜなのか。なぜ黙って彼のなすがままにさせたのか。この狂おしい煩悶にいつまで悩んだことか。こう自問する日々が長く続いた後、なぜかふっと彼女は彼女の時を回復するのです。これもまた神秘としか言いようがない。彼女は苦悩を耐えてきたものにのみ与えられる、ある精神の高みに到達したのです。  
 このヨセフとムト・エム・エネトの救済の場面はマンが精魂を込めて書き上げたこの物語のハイライトでもあります。自分の時間を回復した彼女は考えます。私の心の中で、即ち私の時間のなかでヨセフをこれ以上苦しめてはいけない。ヨセフの時間、ヨセフの本来の生活の場を、私の心で引き寄せてはいけない。思いというものはどんなに切ないものなのか。しかしそれはそれだけで相手を傷つけることもできる。  

 やがて旧約聖書のヨセフの物語の後に、新約聖書の時代が開けてきたとき、イエスはこう言い放ちます。「誰でも情欲を抱いて女を見るものは、すでに心の中で姦淫を犯したのだ」と。誰でも心の中で悶えることによって、すでに他者への時間へと自分の時間の触手を伸ばしている。しかし真実の生き方はそのような絡み合いに終始することではなく、そうした絡み合いの苦しい経験を乗り越えて、それぞれの時間が本来たどるべき道筋に、神の導きによって、戻ることなのだと。心の中で思ってさえもいけない。そのような苦しい覚悟をも表明せざるを得ないような真剣さが必要な場合もあるのです。イエスはそう言ったようにも思えます。  
 こうして私は何度も、思い、思われるものの関係をそれぞれの時間の絡み合いと表現してきました。どうして時間なのか。それは時間というものが個々人の時間として、個々人の人生をかたちづくるある統一的な流れであるということ、その流れの中には個々人の時間形成の神秘が隠されているということ、そしてこの時間形成は他者との出会いによる他者の時間との絡み合いや他者との時間の連鎖を断ち切ることによって、個々人の人生をより豊かにすると同時に、より本来の自分の人生へと収束させていくものだということを表現したかったからです。  
 しかしヨセフやムト・エム・エネトが自分の時間を獲得するに至るそのきっかけとなったある一瞬の時が、自分の意志の及ばない範囲の出来事であったということは確かです。これは何を意味するのか。ヘーゲルはそれを守護神という言葉で表現しています。
「人間の心がどういう風にして自分の全体性に関する感情を抱くようになるかを示す様式は,自分の守護神に関する個体の関係である。われわれは守護神のもとで,人間があらゆる状態および関係の中で,自分の行動および運命に関して決定を下す人間の特殊性を理解すべきである。」と。
「守護神」とはヘーゲルによれば、母体の中の胎児の段階から個人にインプットされている、個々人の人格の根っこにあるもの、個性・顔を形成し、かつその個人の生と死の広がりをかたちづくるもの、即ち個々の人生、時間を決定づけるものだと言います。
「私の内面の特殊性は神託であって,個体のあらゆる決意はこの神託の託宣に依存している。したがってもろもろの一般的な規定の中で動いている覚醒した悟性的意識でさえ,きわめて強力な仕方で自分の守護神によって規定される。」ヘーゲルは、自己の意思の及ばない何ものかが、自己の時間を形成していく様をここまで表現しています。    


 個々人の時間という不可思議な存在に思いを寄せた長編小説に、プルーストの「失われた時を求めて」があります。主人公の「私」は、様々な女性遍歴の後に、理想の女性アルベルチーヌに出会います。しかしアルベルチーヌが同性愛者であることが発覚し、主人公の「私」は、同性愛者たちと接触できないように彼女を自宅に囲います。それでも彼の心は収まりません。眠っている彼女を見つめながらも、どうしても彼女を獲得できないことに煩悶するのです。しかしやがて彼女の死によって、二人の時間の絡み合いは収束していきます。そして「私」はつぶやくのです。
「我々を苦しめる人間は、それぞれ我々によってある神性に結びつけられている。我々の欲する女は、我々を苦しめ、深い生命的な感情を次々と我々から引き出す。」と。  
 何ゆえにこのような女性と出会ったのか。何ゆえに私の人生は、私の時間は狂おしくも彼女との出会いによって運命づけられたのか。我々人間は、古来から、この問いかけと苦悶から立ち上がり、それぞれの時間を、歴史を築いてきたのです。
 次回は我々の時間を収束していく死というものについて考えていきます。
                                              (13/03/2012)  



5.  時間と死について(その1)  

 昨年、母が膵臓がんで亡くなる数日前、母は私に、真夜中に今までの自分の人生が走馬灯のように凝縮されて駆け巡ったと話しました。死の間際に、幼い頃からのすべての一連の記憶が蘇るというのは、臨死体験などでよく語られる現象です。逆に言えば、生きて生活しているということは、どこかで記憶の選択が行われているということです。つまり一気にすべての記憶が蘇ることが抑制されているということでしょう。フロイドが分析しているように、物忘れや何かの間違いという現象にもそうした、生きて生活しているからこその記憶の抑制が働いている場合があるようです。  
 これらの現象は何を意味するのでしょうか。前回、私はヘーゲルの守護神の概念を引用して、人間一人一人は、胎児の段階からその人故のこれから歩むべき道筋を示す胚珠のようなものを宿していると話しました。つまり一人の人間が生きるということは死に至るまでの、その人故の生の広がり、その人故の時間が前もって与えられているかのように生きていくということです。しかし生の広がりは、まるで種子から植物が生長するかのように、ある最終の形を宿してはいますが、一枚の葉や、一本の枝が伸びていくように、その具体的な成長の過程は、むしろ一連の全過程の表象を抑制する形で部分的に実現されていくようです。そして死に至って始めて、この成長の一連の過程を一気に蘇らせることによって、その人の生に終止符を打つように思えるのです。  
 しかしすべての人の死の直前にそのような臨死体験が起こるのかどうかは分かりません。というのも死にはいろんな形があるからです。死には大きく分けて3つの形態があります。
 一つは、闘病生活や老衰などから、精気が徐々になくなって、しぼんでいく、人間にとって最も基本的な形態としての死です。二つ目は急激な病や事故、地震等の自然災害や戦争による突然の死です。そして三つ目は自殺や死刑などの意図的な死です。    

 一つ目のしぼんでいく死については、折口信夫がどこかで古代人にとって死とは生気が亡くなること以上の何ものでもなかった、したがって死体は墓などをもうけることもなく、そのまま海などに投げ捨てられたと言っています。ここは非常に重要なところです。それぞれの時間を生きてきた一人一人にとって、意味ある人生を送ろうと努力してきた人間にとって、死はそれぞれの時間の終焉であり、今までの時間の中での個々人の戦いを全く無意味なものにしてしまうものなのです。  
 アマデウスというモーツアルトの生涯を描いた有名な映画がありました。その最後の場面でモーツアルトの死骸は布袋に入れて紐でくくられ、他の人間のものと一緒に大きな穴に放り投げられ、そしてその上に石灰をまぶされるのです。海ではないが、まさしくなんの意味もない生気を失った物体として穴に投げ込まれるのです。すばらしい曲の数々を我々に残していったあのモーツアルトが物体として放り込まれるのです。これが死の基本です。意義ある生の何ものをも死は奪い去っていきます。そして逆にそれはインド古来の哲学、ヴェーダの教えの理想の到達点でもあるのです。  
 私が今まで何度も引用してきたように、人の理想の生き方を説くヴェーダには四住期という考え方があります。最後の遊行期では人はすべての所有物を捨て去り、森や荒野を彷徨い遊ぶべきだといいます。そしてそれは何かを悟ったというこれ見よがしの境地ではなく、まさしく生気が徐々にしぼんで、人間から物に成行く過程でもあるのです。私は第3章でそのような進行を、認知症を患う私の父の生活になぞらえてみました。明らかに父は日々弱ってきています。そして私は父が衰弱しながらも日々の生活がそれなりに送れるように介護をしているのです。  
 我が国に姨捨山の伝説が各地に残っているのも、貧困などの悲劇的な側面で語られることが多いのですが、このしぼんでいく死に対する葬り方としても、あらためて考えてみる必要があります。    

 では二つ目の、急激な病や交通事故、殺人などの事件あるいは地震等の自然災害や戦争による突然の死は人間一人一人の時間の流れにとって、どのような意味を持つのでしょうか。一つ目のしぼんでいく死と違って、それは予告しがたい死であり、世間では不幸な死と呼ぶしかありません。そして、彼らは不運だった、だが私はまだそうなってはいないと思って、人々は安堵するのです。しかしいつ自分や自分の家族にもそのような事故や災害に遭遇するか分からない、心して生活しなければとも思うのです。  
 ここで考えなければならないことは、我々一人一人が母親の胎内にいた時から与えられている守護神との関係です。今回の東日本大震災による巨大津波では、多くの若者たちの生命が失われました。彼らの生は、しぼんでいくどころか自分の夢や家族の期待も膨らみ、これからこそ自分の時間を築き上げていくという、エネルギーに満ちあふれていたことでしょう。しかし突然の不幸な死です。守護神によって与えられていた彼らの生の広がりはどうなったのでしょう。もっと生きて何らかの自己実現を図ることのできる時間が与えられていたのではないでしょうか。それができなかったのも守護神のなすところなのでしょうか。1985年の御巣鷹山の航空機事故のように、ほとんどの方々が犠牲になっても生き残った女性もいました。死ぬ運命にあった人々とそうではなかった人との分岐点が生死を分けたのでしょうか。そんなことは誰にも分かりません。  
 ここで大切なことは、先に述べたように自分は幸運にもまだそうなってはいない、自分にはまだ、自分なりに何かをやるべき時間があるという、突然の不幸な死に対する、まだ生きている側からの感覚です。こうして、死は生きている人々に対して、死はいつでも無慈悲にもすべてを奪うものだということを自覚させると同時に、自分の生きていることの運命をも考えさせます。  
 私は「タラの芽庵便り」の注釈で、柳田国男の「子供の眼」という文章に注目しました。柳田は、小さな子供の馬方が馬の急な動きについていけず、馬車の後輪に轢かれてしまう現場に出くわします。このとき柳田は一瞬間の子供の眼の色に、人の一大事に関する無数の疑問と断定とを感じ取るのです。そして、自分がこの時間に、この場所に出くわしたのは、その日の朝からの、様々な予定以外の出来事が重なったためだと思い、それを一種の宿命のように感じたのでした。どうしてこうなったのか。あのときあの場面に出会ったのはどういうことか。あのとき別の行動をとっていたとしたら、どうなったのか。他人の突然の事故に遭遇して、人は自分の運命の不可思議にも思いを巡らすのです。    

 そして三つ目の自殺や死刑などの意図的な死です。自殺にも様々な様態があります。つらい病苦や精神的な悩みを逃れるための死、昔のベトナム戦争時によく見られたように戦争に抗議するための焼身自殺、あるいはアラブの自爆テロ、そして三島由紀夫のような自己主張のための切腹や乃木大将の殉死などです。一方意図的に死を課すものとしては、国家権力等による死刑やマヤなど古代文明における生け贄などがあります。これらは自ら、あるいは自分以外の権力によって、意図的に生を遮断するという意味で先の二つの死の様態とは異なります。  
 しかし、何故にそのような意図的な行為に至ったのかを考えてみると、先の二つに分解できるようにも思えます。すなわち、病苦や精神的な悩みを逃れるための自殺は、まさしく生きるという気迫がしぼんでいく状態を伴っており、一つ目のしぼんでいく死に近い状態になるように思われます。苦しい不眠などが続いて、もういつ死んでも良いという心境になるのかもしれません。そしてそれ以外の意図的な死は、本人の周辺に起こる様々な事件や事故が本人を死に追いやるという意味では二つ目の急激な病や事故、地震等の自然災害や戦争による死と類似しており、その突然性が失われて、意図的な死として展開するようにも思われます。しかしながら死刑については、ここでは触れませんが特別な考察を要するように思われます。死刑が確定した囚人にとって、いつ刑が執行されるか分からない状態が続くとしたら、その間の彼の時間は堪え難いものになることでしょう。我々は、そのような時間も刑の執行の一部と見なしてよいのでしょうか。  

  こうして私は死の様態を三つに分けて見てみました。どれも一人一人の時間の流れがそこで遮断されるという意味では、まさしく死なのです。ではそれ以外に三つに共通する死というものの本質はあるのでしょうか。あります。それは、死というものは特別なものを徹底的に排除する、ということです。  
 三つ目の意図的な死のうち、抗議や自己主張のための自殺は、明らかに自分の死を特別なものとして意味を持たせようとしています。死への動機としては確かにそのような意図は存在します。しかし死そのものは、そのような特別なものは何も認めないのです。死んでしまえばそれっきりです。名誉ある死を選択したとしても、その名誉や選択は、死とは反対側の生の側の問題なのです。死者に対して生きている側に思いが残るとしても、それも年月が経つにつれて消え去っていきます。死は死にゆく者の特別な存在を徹底的に排除するのです。
 でも人は言うでしょう。そんなことはない。人は死んでも、その人の作品や成し遂げたことは、彼の死後も我々を感動させ、勇気づけ、永遠に残る場合もあるではないか。例えば宮沢賢治の作品は、彼の生きている間は認められなかったが、死後人々に様々な感動を与えているではないか。賢治自身も当時認められるよりか、死後に残ればよいような作品を目指して制作に励んだのではないのかと。  
 どうでしょうか。賢治は生前自分の作品をトランク一杯に詰め込んで東京まで売り込みにいっています。しかし何処でも認められず、失意の念を抱いて故郷に戻っています。認められようとしても認められなかったのが本当のところです。宮沢賢治の名誉は我々生きている者が再構成しているに過ぎないのです。本人にとっては認められない生を彼自身の時間をかけて終えただけなのです。あの世で賢治は我々に認められて喜んでいるだろうといっても、あの世に賢治はいないのです。     (20/04/2012)  



6.  時間と死について(その2)  

 しかし死は特別な存在を徹底的に排除するという考え方に疑問を呈する哲学者もいます。カントは、現世での人々の幸不幸の不平等に対しては、来世での何らかの救済があってしかるべきであり、来世を志向することは人間の理性の働きにかなっていると、どこかで言っています。またベルグソンは、我々現世の人間は来世の何かと絶えず何らかの交信を取り合っている。それを明らかにしていくのが我々に課せられた課題でもあると言っています。古来から様々な宗教も死後の人格の何らかの存在を認めています。カイラス山を廻る五体投地も現世の苦難と引き換えの来世の幸せを求めて行う人も多いと聞きます。  
 私は時間の本質からして、来世も現世と同様の人格が引き続き存在するということはあり得ないと思います。死の本質はまさしく現世の人格の完全な廃棄だと考えるからです。しかしながら前回「他者との出会いと時間」でトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」を引用したように、ヨセフをムト・エム・エネトの誘惑から守ったのは彼の父ヤコブの面影でした。あの時の面影は何処から出現したのか。あの世におけるヤコブの魂のようなものがヨセフを見守っていたのではないのかという考えもあるでしょう。だが私にはそうではなく、ヨセフそのものに備わり、ヨセフの時間を導く守護神のようなものが彼を押しとどめたのだ、と思うのです。ではヨセフが母の体内に宿っていた時の胚珠とか胎児の時点に既に芽生えていた守護神とはどのようなものなのか。  
 私は守護神が個々の時間というものを形成する大きな要素だと述べました。そしてその時間は死によって途絶えはするが、その時間を戦った精神のようなものは再び次世代へと受け継がれていく。守護神はそうして受け継がれていく精神のようなものを反映する何ものかではないのか。そうすると私の死に対する言い方は矛盾を露呈することになります。私は、死は、生きていく一人一人の時間との戦いを全く遮断してしまうと言いました。死は連続性や特殊性を徹底的に拒否するのです。その一方で私は守護神の概念は、死を乗り越えて人類の未来へと受け継がれていく何ものかであるかのような言い方をしました。私の考えは矛盾していないのか。    

 私は父にとっての時間について述べた中で、父は徐々に体力は衰えてきているが、これは生物一般にインプットされている寿命という遺伝子のようなものの仕業であって、いつか訪れる死を止めることは誰にもできない、と言いました。しかしその場合の遺伝子は、老化し、死ぬ運命にある体細胞のものであって、生殖細胞ではないのです。生殖細胞は男女の出会いと結合によって、新たな生命の中へと受け継がれていきます。しかもそれは過去の人間の資質を引き継ぐと同時に、合体による新たな資質をも展開していくのです。そのためにも人間は体細胞として死に絶えるしかないのです。  
 しかしながら、生殖細胞とは異なって、守護神のようなものが、人間一人一人の時間の中に宿り、それがまたどのように未来に向かって再生されていくのかは私には分かりません。というのも生物学的には自分の資質は自分の子供たちを通じて受け継がれていくだけであり、人類にとってかけがえのない人格や精神を宿していても、生前他の性と合体できなかった生殖細胞はそこで死に絶えてしまうほかないからです。したがって、生物学的以上の問題として、今ここで話を先へ進めることは、私にはできません。一人一人の特殊な時間としては、死はすべてを無に帰して、未来には何も残しません。守護神の概念は、そうした生物学的な特殊性とは無縁の普遍的な何かとしか言いようがありません。    
 
  しかしそのような考えさえも打ち消すような、象徴的な物語もあります。カフカの「掟」という短編小説です。ある男が掟の門の前に立っている番人に門の中に入れてほしいと頼みます。しかし番人は、今は入らせるわけにはいかないと彼の願いを拒否するのです。掟はどんな人間にも開放されているのに、何故自分は今入れないのだ。彼にはこの番人が彼にとって、とてつもない障害に思えてきます。しかし、「今はまだ入れることができない」という彼の言葉を信じて、門の前で過ごす決心をします。長い時間が経過し、男は老いていき、やがて余命が幾ばくもない状態になります。男は門番に問いただします。すべての人間が掟とは何かを求めて努力し続けているのに、長年の間、私以外にこの掟の門に入ることを求めてきた人間がいないのは何故なのかと。門番は男が死にかかっているのを確認してから答えます。この門はおまえ一人のためにだけあったものだ。さあ、もう門の扉を閉めにいってくる、と。  
 ここには一人一人に与えられた時間と死の本質的な関係が見て取れます。世界、世間、家族、周囲の人々、これらすべてが掟の門の前にたたずんだ男のためにだけに与えられたものだ。それどころか、掟も、門も、門番もすべて男の分身なのかもしれない。そして死に絶えていく男。男の死で何ものもなくなる。世界も、世界についての考えも、それを考える人類も、人類の未来もなくなる。  
 それでも人は、死に絶えるまで、自分という特定の存在が生きていることの意味を探ろうとします。たとえ意味を見いだせなくとも、探ろうという意志が生きていることの証であると確信しているのです。    

 私は、生きることの意志をはっきりと実感させられた、深い夢を二度ほど見ました。一度目は30年ほど前のことでした。それは奇妙な夢でした。大阪駅前の繁華街のレストランで私は友人と食事をしていました。私はそこで二本のボールペンを彼に見せるのです。ボールペンの中には私が以前閉じ込めた人間が二人とも生きているかもしれない。死んでいると殺人になる。鑑定のためにボールペンを警察に持っていくべきか。ボールペンはまだ暖かく文字も書けたので、もしかしたら二人は、ボールペンの中で生きているかもしれない。友人は何処で閉じ込めたかと私に聞くが、はっきりとは覚えていない。外へ出ようとすると私は既に殺人者として世間に広まっていました。レストランの支配人は非人間的な扱いをして私をレストランの地下へと追いやります。地下の暗がりの中で探りあうような眼と眼。そこには前科者や女性たちがうずくまっていました。やがて私は彼らと何かをぼそぼそと話し始めます。永遠に続くかのようにぼそぼそと。そして私は、閉ざされた地上への階段と交わる地下の天井の一角から、私自身を含めて語り合っている暗いうずくまりをじっと見つめているのです。永遠にここから抜け出すことはできない。永遠に。自分の時間がここで奪われてしまう悲しさ。もう何も自分から切り開いていく時間はない。私は気の遠くなるような絶望感に襲われたのです。そして目が覚めました。おそるおそる床を手で触りました。畳でした。冷たい地下のコンクリートではない。雨戸を開けました。外は快晴、強風でした。私はこの時ほど、まだ自分には自由な時間があるという限りない喜び、生きているという実感に浸ったことはありません。それほど夢とは思えない深刻でリアルな夢だったからでした。  

 そしてもう一つは数年前に見たものです。私は気の遠くなるような高い絶壁から車ごと落下するのです。道を外して誤って落ちたようだ。落ちていてこれが最後だと思う。もう助からない。これで自分の一生は終わった。そう思う。本当に、何という人生だったのだろうか。そう反省はするが、落ちている時はもうこれが最後だ、元には戻れないというハッキリした意識しか残らない。悲しく辛いが、それは反省するとそうだということ。しかし悲しい気分は残る。もう戻れない。今の日常、生の世界には戻れない。ただただ奈落の底に落ちて行く。もう戻れないというハッキリした意識。もう駄目だというハッキリした意識。もう戻れないから駄目だというあきらめにも似たハッキリした意識。ああつと吸い込まれるように落ちて行く。どうしようもない感覚でした。この時も夢だったと意識するには少し時間がかかりました。そしてまだ自分には生きてやるべき自由な時間があるという感慨に浸ったのでした。    

 人は誰でもいつかは一人きりで死に向かい合わなければなりません。しかし死は今までのその人の時間の中の戦いには全く無関心なのです。死の向こうには何もありません。それでも人は死に向かって自分の限界と意義を知ろうとし、限られた時間を自分の時間として生きていこうとします。カフカの掟の門の前で死に絶えたとしても、掟を知ろうとする門の前の生活が生きているすべてであったとしても、やはり人は自分の時間を生き続けようとするのです。    

 これで一人一人の生きる時間について、私はある程度のことは語ったように思います。しかしまだ時間についてすべてを語っていません。まだ語り得ていない、曖昧な部分を多く残しています。というのも、死はすべての特殊性を排除すると言いながらも、ヴェーダでも説かれる、永遠に受け継がれていく守護神のような精神の問題について、まだ十分語り得ていないからです。また、来世を目指す厳しい五体投地の意味するところも、まだ掘り下げてみなければなりません。しかし今は、これらについて無理に理屈を付けて考える必要はないと思っています。    

 再び私の夢で恐縮ですが、最後に母が死ぬ数ヶ月前に見た夢を紹介させてください。それは私の年老いた両親が二人だけで北欧のようなどこか寒い国に滞在するために出かけた夢でした。滞在のための手続きは我々夫婦がしたように思います。すでに両親二人で出かけて、向こうで生活しているようだ。そこで私と妻は二人の様子を確認するためその寒い国に出かけるのです。そこは海辺の荒涼とした場所でした。海外からの移住のための掘建て小屋のような事務所があり、その横に粗末なとても小さな小屋が並んでいました。その小屋の一つに両親は体を寄せあって座っていました。小屋の中は1メートル四方くらいの広さで、とても横になることはできない。暗い土壁の中、二人で仲良く座っている。私が大丈夫かと聞くと、二人とも大丈夫だと言う。ただ父が屋根に穴があいていて時々風がスースー入ってくると答える。ドアを閉めて別れると、妻が二人はあのままでは寒くないだろうか、と私に聞く。私は、大丈夫だ、事務所の近くだから何かと便利だと答える。しかし周囲を歩いているうちに考えます。二人ともあのままで横になることもできない、寝ることもできないではないかと。歩いているとやがてにぎやかな町並みが現れる。そこにはゆったりしたベッドの備わったホテルもある。別のホテルからは、談笑も聞こえる。何故こういうホテルを両親のためにとってあげることができなかったのだろうか。自分は両親に何ということをしたのだろう。私は激しく後悔するのです。    

 この夢を見て数ヶ月後、母は亡くなり、父は認知症が進行していきます。生きている者にとって、特別な人の死はつらいものです。故人に何もしてあげられなかったという思いは、なおさらつらいものです。それは彼らの時間と絡み合って、生きている者の時間もかたちづくられてきたからです。生きている、残された者は、こうして死をより身近なものと感じることによって、これからは残された自分の時間と対面していくことになります。

 

 

 

7.  ベルグソンと時間  

 時間について、わたしはこれまで6回にわたって私の考えを書いてきました。私は日常的に過ぎ去る時間の感覚や他者と交わる時間の感覚、そして時間と死の関係について考えを述べてきました。今でも私を現実的に支配している時間感覚は日常的なものです。私は一ヶ月ごとに病院に行って、認知症の父の3種類の薬をもらってこなければなりません。そして薬が少なくなると、ああもう一ヶ月が過ぎたのか、また病院に行って薬をもらわなければならないと、一人で嘆息するのです。嘆息するのは薬をとりにいくのが面倒だというのではありません。何もたいしたことができないままに、時間だけが過ぎていくことへの嘆きなのです。良いではないか、無事に毎日が過ぎていけばという考えもあることでしょう。しかし人間の時間というものは、そんなものではないようです。過ぎ去った時への悔悟と諦めと、それにもかかわらず来るべき時への新たな覚悟、そんな繰り返しで生きていくのが人間の時間ではないでしょうか。このホームページにもいろいろなことを書いてきましたが、人々が読みそうもないことを書いてきてどうなるのだという気持ちもあります。それこそ、このままどんどん時間が過ぎていくだけではないか。一方で、単純で平凡な日常生活のなかに潜む思いをひとつひとつ積み重ねていくことも、時間に対するせめてもの抵抗ではないのか。時間のような抽象的に思える問題を考えていく上では、そのような作業も必要ではないかと思ったりしています。  

 第6章で、私は夢や母の死を通じて、時間と死の関係を考えてきました。母が死の直前に彼女の幼い頃からの記憶が走馬灯のごとくいっぺんに現れてきたと私に述べたと書きました。ベルグソンは、死ぬ瞬間の現象として一般に知られているこの事実を人間の持つ記憶のあり方から解明しています。現実の日常生活を生きぬいていくために、人間は呼び起こすべき記憶の選択を行っている。しかし死の直前になるとそのような選択の制限が外れて、一挙に記憶がよみがえってくると言うのです。  
 彼は「物質と記憶」のなかで、記憶は、脳など、どこかに空間的に蓄積されているというものではないと言います。記憶は蓄積というよりも、物質と同様に振動でもあり、流れでもある。我々は、振動し流れ行く物質をある固定的、空間的な側面から把握することで我々の日常世界をかたちづくっている。記憶も物質と同様に個人的な領域を超えて、振動し、流れ行く基底のようなものである。それにもかかわらず、その一部が個人的あるいは社会的な人間活動の必要性から、ある特定の記憶として制限されて表出されるのだ、と。物質も記憶も振幅し、うごめいている。しかし我々はそのどちらも一部を切り取って、空間的、固定的にそれらの存在を確認するしかない。では本来の流れや動きとして物質や記憶をとらえることはできないのか。我々の日常生活に必要なものとして切り取られたものではない、純粋な記憶の流れをとらえることはできるのか。ベルグソンは、それは直観的な把握によって可能である、と言っています。

 私は「時間とは何か」の第6章で、次のように述べました。
「私は守護神が個々の時間というものを形成する大きな要素だと述べました。そしてその時間は死によって途絶えはするが、その時間を戦った精神のようなものは再び次世代へと受け継がれていく。守護神はそうして受け継がれていく精神のようなものを反映する何ものかではないのか。そうすると私の死に対する言い方は矛盾を露呈することになります。私は、死は、生きていく一人一人の時間との戦いを全く遮断してしまうと言いました。死は連続性や特殊性を徹底的に拒否するのです。その一方で私は守護神の概念は、死を乗り越えて人類の未来へと受け継がれていく何ものかであるかのような言い方をしました。私の考えは矛盾していないのか」と。  
 死後の世界はあるのか。私は人間の認識力ではそこまでは解明することができない、というか解明も何も、死をもって個々人の生は終了する、その後は何もあり得ないと述べました。しかしながら他方で生殖細胞という生物学的な事実をも乗り越えて未来の人類へと受け継がれていく精神、あるいは魂の存在というものを否定することもできませんでした。個々人の内部には、ヘーゲルが言うような守護神というようなものがあって、それが個人の運命や個人同士の関係を宿命づけながら、総体としての人間を未来に向かって動かしているのではないのか、と。第6章の最後にまとめたように、そこらあたりの問題を私は理屈だけをこねて、決着を付けてしまおうとは思いませんでした。まだ分からないことや掘り下げてみなければならないことが少なくないからです。しかしながら、昔読んだベルグソンをここで読み返してみて、この問題を少しは前向きに整理できるのではないか、と思うようになりました。  

 ベルグソンは人間にとって死後の世界はあり得るものだと言います。それは、記憶や知覚というものが、決して我々の大脳という身体的、空間的な領域に限定されているものではない限り、身体的な死の後にもそれらが存続しないとは言い切れないと言うのです。しかし、死によって大脳が機能しなくなった後、死後も存在する記憶や知覚は生前の人格にとっては、どのような意味を持つのでしょうか。人間にとって死後の世界があり得ると言う限り、大脳が機能していた時と同じ人格が死後も存在すると考えるのが自然だからです。そうでない限り、知覚や記憶だけが死後も存続すると言っても、死んだ者にとっては何の意味も持たないからです。では生前の身体的な存在と死後の非身体的な「存在」との人格的な同一性は、生きている者にとって、あるいは死んでいった者にとって、どのように「認識」できるのか。そのことについては、ベルグソンは多くを語っていません。そのような同一性が死後一時続くのか、永遠に続くのかはまだ分からないと言っています。だが、私がここで考えたいのは、個人にとっての生死を境にした人格的同一性の問題ではなく、人類として悠久に受け継がれていく魂のようなもの、そしてそれが生きている個人の生にとって、どのような意味を持つのかということです。ベルグソンは魂について次のように言っています。

「力強い本能が、人格はおそらく不滅であると宣言するとき、唯心論の諸学説がその声に耳を閉ざさないのは正しい。けれども、そのように独立した生を営む能力を持つ「魂」が存在するとしても、一体それらはどこから来たのか。我々は目の前で、身体が、両親から受け取ったある混合した細胞からきわめて自然に生じるのを見ているというのに、それらの魂は、いつ、いかにして、なぜこの身体に入ってくるのだろうか。もし直観の哲学が、身体の生を、それが実際いる場所で、つまり精神の生へと通じる道の途中で見ようとするならば、直観の哲学が問題にするのは、もはやこれこれの決まった生物ではないだろう。生命全体は、それを世界に放った最初の推進力からずっと、物質の下降する運動の妨害を受けながら上昇するある流れとして現れるだろう。その流れの歩みに人類は位置している。そこに我々の特権的な状況がある。他方で、この上昇する流れは意識であり、あらゆる意識と同様、無数の潜在性を含んでいる。これらの潜在性は互いに浸透しあっていて、その結果、不活性な物質のために作られた、一や多といったカテゴリーには当てはまらない。その流れは物質を押し流し、その諸々の隙間にみずからを差し込む。こうして物質だけがその流れを互いに区別される個体性に分割できる。それゆえこの流れは、何世代にもわたる人類を横切り、さらに個別に分かれながら流れていく。この分割はこの流れの中でぼんやりと描かれていたが、物質がなかったら、はっきりと表に出ることはなかっただろう。このようにして、諸々の魂は絶えず創造されるが、それらはある意味では前もって存在していた。生命の大河は、人類の身体を横切って流れながら、小川へと分かれていった。諸々の魂とはこの小川に他ならない。  
 このような学説は、より多くの行動するための力、生きるための力を我々に与える。なぜなら、この学説に立つとき、我々はもはや自分が人類の中で孤立していると感じないし、人類もそれが支配している自然の中で孤立しているようには思われないからである。全ての生物は関係しあっており、全ては同じ恐るべき推進力に身を委ねている。時間と空間において人類全体は、我々各人の横を、そしてわれわれの前と後ろを疾駆し、目覚ましい攻撃を行っている、ある巨大な軍団である。その攻撃は、あらゆる抵抗を撃退し、多くの困難を、おそらく死さえをも乗り越えることが可能である。」(「創造的進化」ちくま学芸文庫、合田訳)  

 魂や直観、あるいは物質や生命の流れについて、ベルグソンの考えを紹介するために、長い引用になってしまいました。また彼は、個々人は決して孤立している存在ではなく、潜在的にはすべての人類、あるいはすべての生物は関係しあいながら、未来へと疾駆している、そのことを認識することは生きるための力を我々に与えてくれる、と述べています。では具体的に人類の身体を横切って流れていく魂の存在を我々はいかにして把握することができるのか。ベルグソンは、前述したように日常生活の必要性から大脳によって切り取られた記憶の基底にある記憶そのものは、直観によって把握できると言っています。彼はまた、その場合の記憶そのもの、すなわち純粋記憶は、それを精神とか魂に置き換えてもよいと言うのです。魂は「直観」によって把握できるのだと。  
 こうして彼が「直感の哲学」を強く標榜するのは、カントの認識論に対する批判を前提としているからでした。彼はカントが直感の重要性を理解しながらも、人間の認識の領野を悟性や理性として図式的、空間的に整理しつくしたことに反発します。認識の領野を空間的な図式に固定したのでは、人間の自由はあり得ないと。では具体的に、人間にとって、常識的、客観的、空間的な認識能力を超えた直感の把握はどのような場合に可能なのか。ベルグソンはそれを芸術的な創造をもたらす感覚に求めます。すなわち、美的な感覚や意識あるいは創造的な意欲に求めます。  

 カントも直観的な能力の重要性については十分理解していました。彼は「物自体」と創造的な直観との関係を探っていたようにも思われます。だが、彼はそのような直観は常時体験できるものではない、我々の常識的、日常的な生活においては、物自体は直接認識できないからである、と言っています。しかし、カントは一方で、我々の行動や意識は、実践的・道徳的な領域においては、物自体と何らかの関係を持つであろうことを認めていました。実践的・道徳的な領域とは、自分と同じように常識的、日常的な生活を送っている他者との関係をいいます。他者との出会いや他者との関わり方において、人間は常識的な判断だけでは解決できない様々な問題に遭遇します。自己の日常生活を遮断する可能性を持つ他者とどう向かい合い、どう共存していけるのか、人は思い悩み、また解決策を探ろうとします。しかしそこに、客観的な因果関係とは異なる次元の、人間の本来の自由の根拠がある、と言っているのです。一人の方が自由ではないか、他者との関係では、自由どころか束縛が増すだけではないのか、とも考えられますが、カントはむしろ他者との関係から見いだす自由を真の自由、人間の心の内奥に潜む、真に道徳的な要請に答える自由として、物自体と関連づけているのです。だが彼は道徳的な領域を超えて、物自体と直観の関係を積極的に分析しているわけではありません。  

 ベルグソンも、直観による魂の把握が日常的に可能であるとは言っていません。むしろ、日常的には、カントの言うように、物事の空間的、科学的、知性的な因果関係の認識が我々の考え方を支配しており、直観的な認識はまれである、と。というのも、直観的な認識が日常的、社会的になってしまうと、我々の人間社会は、今とはとんでもなく変わってしまうだろうからです。直観的な認識に伴う人間の能力、例えばテレパシーや物体移動の能力などは、まだ我々の世界では、まれな現象である。しかしベルグソンは、人類は未来に向かって、徐々にではあるが、直観的な能力が従来の知性と新たな形で調和する方向へ向かわざるをえないとも言っています。そこには彼の考え方の、人間の未来に対する楽観的、希望的な傾向が見て取れます。  
 一方で彼は、直観の体現の事例として美的な創造活動以外にも、次のように「否定の力」を強調しました。

「ソクラテスのダイモーンはある一定の瞬間にソクラテスの意志を止めて、するべきことを命じるのではなく、行動することを妨げました。思索における直観は、しばしば実生活におけるソクラテスのダイモーンと同じように働くと思われる。少なくとも直観の姿はそうした否定的な形で現れ、その形をはっきり現し続けるように思われます。すなわち、直観は禁止するのです。哲学者の思想形成においても「あり得ない」というささやき、直観のこの否定作用は何という不思議な力でしょうか。この力はどうして哲学史家の注意をもっとひかなかったのでしょう。直観に帰ることによって、彼は自分の中に戻ります。ある学説の紆余曲折というものは、このような出入りによって、即ち自分を失っては取り戻し、際限なく自分を訂正していくことから出来上がっています。これが「発展」と呼ばれるものの正体なのです。」(「思考と動き」平凡社、原章二訳)  

 これが「魂」と呼ばれるものの正体なのです、と言ってもいいくらい、この直観の否定作用の強調は、ベルグソンが述べた考えのうちでも、最高の功績のうちの一つでしょう。  
 私は「時間について」の第4章「他者との出会いと時間」でトーマス・マンの小説「ヨセフとその兄弟」を引用しました。ヨセフに対して狂おしい欲情を持つ、エジプトの宦官の妻がヨセフに迫ってきます。しかしヨセフは間一髪のところで、彼女から逃れることができたのでした。マンは述べています。
「ヨセフが最後の土壇場に来て身を振りほどいて彼女から逃げ出すことができたのは、父の面影を思い浮かべたからであった。しかしヨセフが部屋の一隅に見たと思ったのは、まとまった個人的な特徴を備えた姿ではなかった。彼はむしろその精神の中に、その精神をもってみたのだ。それは象徴であり、警告の像であって、むしろ広くかつ普遍的な意味での父の像であった。その顔は心配そうにヨゼフの方を伺い見ていた。」  
 このすばらしい表現は、まさに人間にとっての精神や魂の本質的な役割を端的にあらわしています。これこそ、「直観の禁止」、直観の否定作用なのです。ベルグソンはこの作用を思索の展開における否定の力、「あり得ないというささやき」として述べています。すなわち個人の思想形成における熟成の過程を促すもの、本来の自己にかえる思考過程としてイメージしています。が、それは行動の場面においても、ソクラテスのダイモーンのように、どこからともなく沸き上がり、その人ならではの道筋にその人を、有無を言わさず導き入れていく、否定の力なのです。私は第4章でそれをヘーゲルの言う守護神の概念で表現してみたのでした。  
 マンはこうしたダイモーンの力を「魔の山」の主人公ハンス・カストルプにも体験させています。ハンスは同じサナトリウムに滞在するロシアの女性を狂おしくも求め続けますが、一方で「彼女と一緒になることは絶対あり得ないことになってる」という精神の深みからのささやきを聞き取るのです。異性との出会いと、それがそれぞれの人格にとってどのような意味を将来もたらすのかという時点では、誰にでもこのような精神のささやきの場面に遭遇することはあり得ます。狂おしく相手を求めても一緒になれない何か、そこにはどこかで、「そうではない」「それはあり得ない」と強く促す何らかの力が個人を突き動かしているように思われます。それは何か。それは個人にとっては直観的な確信であり、そこではある個人的な役割を演じざるを得ないという何らかの確信なのです。さらにベルグソンに言わせると、そのような否定を受け入れざるを得ない個人は、自らは全く意識せずとも、未来へと向かう悠久の生命の流れの突端に、すなわち精神や魂の流れの先端に位置することになるのです。  

 ヨセフが土壇場のところで宦官の妻から逃れ得たのは、父の面影を思い浮かべたからであると、マンは述べています。しかもそれは特定の人格としての父ではなく、広くかつ普遍的な意味での父の像であったと。ここでは、直観による拒否の力は、ある特定の人格のイメージによって喚起させられるのではなく、まさしくわき上がる象徴的な表象として個人を突き動かしています。しかしながら他方で、ベルグソンは、死後も生前と同じような特定の人格的な存在が、まだ生きている他の人格と交信したり、関わり合ったりする可能性についても述べています。そして冒頭にも述べた通り、そうした死後の人格が、死後一時存在するのか、あるいはもっと長く存在し続けるのかはまだ分からないと言っています。  
 このことで思い出すのは、小林秀雄が書き続けたベルグソン論「感想」の冒頭の有名な場面です。終戦直後、小林の母親が亡くなります。その数ヶ月後、彼は酔った勢いで、水道橋のプラットホームから転落します。命を失ってもおかしくない状況でしたが、彼は奇跡的に助かります。その時「私は、黒い石炭殻の上で、外灯で光っている硝子を見ていて、母親が助けてくれた事がはっきりした」と述べています。これは小林の強い直観的な確信であり、彼はこの確信の意味するところを考えていくことから、ベルグソン論を書き始めていくのです。しかし彼のベルグソン論は未完に終わり、遺言で出版することも拒否しています。  
 私も母の死後、小林ほどの確信はないのですが、亡くなった母の加護があったのではないかと推測できるような出来事がありました。それは母の死後数日たって葬式を行った式場で、私の鞄が突然なくなったことから始まりました。式場のどこにも見当たらない。貴重品が詰まったものでしたので係員も懸命に探してくれました。それでも見つからない。どこかにおいてあったのを盗まれたのかもしれない。私はあきらめて、警察や銀行への手続きをしようと考えていました。葬式の後、火葬場へ行き、母は遺骨となりました。その後家族や親戚は車で納骨する墓場へと移動しました。その移動途中のことでした。葬儀場の係員から私の携帯に電話があり、私の鞄が見つかったと言ってきたのです。車内では、今まで心配してくれた親戚が、向こう側に行ってしまったあなたのお母さんが探してくれたのだと、にこやかに話す声が聞こえました。私は係員にどこでみつかったのかと聞きました。何とだだっ広い駐車場の隅で見つかったと言うのです。これはどう考えても解せないことでした。車からでたところで落とすことなど考えられないからです。後で分かりましたが、鞄の中身もすべてそのままでした。しかしその時は、貴重なものが見つかったことへの安堵の気持ちでいっぱいで、親戚に対しては、そうかもしれないですねと笑って答えたのでした。  
 65年間も生きてくると、明らかに神秘的ではないかと思われる出来事にはいくつか遭遇するものです。幼い頃の思い出はタラの芽庵の本文にも書きました。大学では、あるサークルでの夏の合宿で夜遅くまでトランプをしていた時のことが思い出されます。そのとき私は3度にわたって、めくる前のカードを当てたのでした。なぜかは分かりませんが、必ずその種類と数字のカードがでるという不思議な感覚がありました。小林秀雄の「感想」では、ユングの自伝にでてくる、有名な爆発事件が紹介されています。ユングと彼の師フロイトが激しく口論していると、突然そばにあった本箱で激しい爆発音がしたのです。ユングがフロイトにこの事実は我々の激論に関係しているというと、フロイトはそれをはなから否定します。ユングは述べています。
「「いや違います。先生、私が言うのが正しいのを証明するために、しばらくすると、もう一度あんな大きな音がすると予言しておきます。」果たして私がそう言うが早いか、まったく同じ爆音が本箱の中で起こった。今日に至るまで、私は何が私にこの確信を与えてくれたのか知らない。しかし爆音がもう一度するだろうということを、疑う余地なく知っていたのである。」(ユング「自伝」)  
 このことは二人の精神的な動きが、周囲の物質に影響を与えたということ、そしてその出来事を理由は分からないが予言できたということを示しています。  

 日常的には考えられない神秘的な出来事を、ベルグソンは、記憶や知覚が我々の個々人の身体に空間的に閉じ込められているわけではないということから、また直観という物体や精神の流れを感知し、またそれらと交感することができる能力から、その現実的な可能性を探ってきたのでした。では、我々人類はカントが体系化したような人間の認識能力の限界を超えて、ベルグソンの言うような人間の直観と知性が微妙に融合した未来社会へと、彼の言う「生命の飛躍」で持って進んでいくのでしょうか。あるいは人間社会とも言えないような精神的な存在へと進むのでしょうか。  
 カントについては、タラの芽庵便りの注釈でも触れましたが、大学時代、私は「純粋理性批判」を読んでいたく感動しました。彼は人間が把握する有限と無限の二律背反性を説くことで、そうした時空の観念にとらわれない物自体の存在を導きだすとともに、その物自体の内容は知り得ないという人間の認識能力の限界を明らかにしました。ベルグソンは「私達の生きている世界は、量的な次元における一定の選択によって、つまり私たちの行動能力によって限定された選択によって、現にあるようなものとして存在している。別の選択に対応する別の世界が、同じ場所で同じ時間に存在していても何ら差し支えない。」と言っていますが、それはまさにカントが物自体の存在を導きだした結論にも相通じるものだと思われます。
 そしてカントは、冒頭で述べたように、同時に、実践的、道徳的な領域では、人間は物自体の神秘に関与することができると説いたのです。しかもそれが自由であるべき人間の存在根拠でもあると。カントは「純粋理性批判」でこう述べています。

「我々がなお自由を救おうとするならば、事物の存在が時間において規定せらるべき限り事物の存在を、従って自然必然性の法則に従う因果性をば単に現象に属するものと考え、また自由をば物自体そのものとしてのこの同じ存在者に帰するより他に道はないことになる。純粋理論理性において成し遂げられた、時間並びに空間と物自体そのものの存在との分離はこのようにきわめて重要である。こうして我々が純粋理性についてなすところのすべての歩みが、精緻な思弁をまったく顧慮しない実践的範囲においてさえ、あたかも一歩一歩が慎重な先見をもってこの証明を与えるためにのみ考え尽くされたかのように、厳密にしかもおのずから理論理性批判のすべての要素に一致する、ということはまことに驚愕に値する。」  

 カントはヘーゲルやベルグソンが批判するように、決して人間理性の限界や制限を説き、その補完として、実践理性を道徳的に要請したのではないのです。最初から純粋理性の本質的な根拠として、物自体そのものに関与する人間の道徳的な要素、人間に本来の自由をもたらす要素を認めていました。さらにカントは遺稿で次のように述べています。
「学問に対する欲望という点では、不自然なものでしかあり得ない。学問の危険性は証明されているので、むしろ次のように判断されるべきである。すなわち、われわれは、この世における我々の定めを越えていく悟性の能力を持ち、したがって来世が存在するであろうと。」(カント遺稿集・美と崇高の感情に関する考察覚え書き)  

 ドイツ語の原文を参照しているわけではないので、学問の危険性は証明されている、という言葉でカントが何を言わんとしたのか、はっきりとは分かりません。考えられる意味は、人間の生活というものは、学問の領域だけで覆い尽くせるものではない、客観的、科学的な体系や理論の構築によって満足するのは、学者だけである、本来人々の生活は、客観的な認識能力以外に様々な直観、周辺の環境を体で感じ取る様々な感覚によって成り立っている。そこにはそれこそベルグソンが言うように、我々に来世へと通ずる感覚をももたらす可能性が秘められている。学問にはそれを期待できない、と。  
 しかしベルグソンは、カント批判によって、哲学や科学という学問の分野でそのような期待を膨らまそうと試みたのでした。すなわち、学問の危険性がますます深まりゆく現代の流れのなかで、ベルグソンもまた自分の考えを表明せざるを得なかったのでした。人間社会である限り、ジャーナリズムの世界の形成は不可避です。古代から、そこで政治家、学者、芸人などの有名人が醸成されてきたのです。コンピューターやインターネットなど科学の発達によって、ジャーナリズムの世界は、その権威、権力をますます増大させ、我々の日常生活に深く浸透するとともに、地球上のすべてを覆い尽くすようになりました。有名になった学者先生たちは、世界中の学会やマスコミに招待されて、自己の学説を発表することができます。本人もそのことに気を良くして、各国の文化との交流の中で自己の学説も豊かになると錯覚するのです。ある有名なフランスの現代思想家は、世界中を飛び回って講演したり、そこでの地元の学者と議論したりして、それが本になっています。読んでみましたが、そこにはもはや彼が有名になる前の建設的な思考はどこにも見いだせませんでした。そんなところに深い思索は生まれるのでしょうか。  
 東プロイセンのケーニヒスベルグをほとんど出ることがなかったカントの生活に見られるように、真の思索の場は日常の身近な範囲にあるように思われます。それを失って世界中を飛び廻る学者たち。彼らは日常生活の細々とした煩わしさから解放されて、彼等の学説に飛びつく学会や信奉者、マスコミのもとへと笑顔を見せて飛んでいきます。だが本来の思索の場は、それこそ単純な日常生活の煩わしさとは無縁ではあり得ないのです。我々の頭の中ではいつも細かな日常の煩いが巡っています。他者への評価や他者への対応で悩んでいます。それでもそうした日常の悩みの中から、一条の光が射す出来事にも出会うことができるのだと思います。

「南インドへの旅」でも述べたように、私の思想形成の源はいまだカントの著作を読んだ時の感動とその後インドへ旅立ち、アーチャリアからヴェーダの思想を学んだことにあります。ベルグソンはカントを批判し、純粋理性の世界ではない、人間本来に備わる直観のささやきに耳を澄まして、飛躍せよと言います。しかし本来人間の日常生活というものは、カントの世界、空間的で固定的な世界なのです。そこで悩み、もがき、停滞しながらも、そこで戦っていくことが基本です。毎日が発展の連続で、芸術的、美的な飛躍だというわけにはいかないでしょう。ベルグソンは、再三、「感覚と意識の体制を壊し、私たちの知覚を根源へ連れ戻」すことができれば、「そのとき、私たちは新しい能力を手に入れること」ができると言います。彼の理論から帰結する言葉ではありますが、一方でそれはベルグソンの学者やジャーナリストとしての側面でもあります。それよりも日々の生活を維持するために単純な繰り返しの毎日を守り続けたカントの方に、私は親しみを感じます。  
 もちろんそうしたことは、ベルグソンも幾分承知していたことでしょう。逆にカントが抱く道徳や物自体に潜む思いには、ベルグソン以上にベルグソン的な要素が秘められていたのかもしれません。だがカントは時代の制約から、また彼自身の信念から、そこまで多くを語ろうとはしませんでした。カントの時代にはまだアフリカやインドの人々への正当な評価はなされておらず、カント自身もアフリカ人種等に対するヨーロッパ人の理知的な優越性を疑ってはいませんでした。  

 しかし今や時代は変わりました。先進諸国の人間にはなかなか見いだせないアフリカ人の身体能力のダイナミズム、自己の身体を周辺環境に直観的に対応させることができる能力などはヨーロッパ人以上に評価されるべきものです。また古来からヴェーダなどによってもたらされてきたインド哲学は、先進諸国の成熟した民主主義社会の理想と現実のギャップに鋭い警鐘を鳴らすことができます。  
 私は数年前二度にわたって南インドを訪れました。そこで出会ったヒンドゥー教の施設のアーチャリアから多くを学びました。我々は日常的に悩む意識の世界から、苦しい克己の道を歩むことによって、自己の内奥に秘める世界へと下ることができる、それもまさにこの現世で、と。さらに彼は言います。
「我々が徐々に欲求を減じていくと、完全に欲求から抜け出る時期がやってくる。その時、肉体の感覚は自ずから消失する。そして自己そのものだけが残り、輝く。このような段階に到達するのに、他の世界に旅立つ必要はない。ヴェーダの教えでは、今、ここでこそ解放の理念は実現する。偶然の出来事なぞ、この世には起こりえない。」と。  
 自己のたゆまぬ努力によって、乗り越えるべき欲求を克服した者は、そのことによって、この世での充実感を達成できると。そのためには遠くへ旅立つ必要はない、今ここでの生活の克己が、すべての出来事に自ずから意味を与えてくれると。何のことはない。そこには直観も、神秘も、飛躍もありません。自己の内部に克服すべき欲求を見いだし、淡々と日常生活の中でそれらを克服していく。誰もが古来試みてきた、道徳的あるいは宗教的にも分かりやすい生活であり、そのパタンは昔も今も変わりがないような気もします。日常的に我々の頭に占める問題の多くは、様々な雑用や他者との道徳的な関係です。カントのいう物自体に連なる道徳とは、偽善的なヒューマニズムの入る余地のない、日常的に耐える世界を見通す力でもありました。

 ベルグソンはこの耐える世界にどれだけの価値を見いだしていたのか。生命の飛躍を人間の自由の可能性と関連づけたことはベルグソンの功績です。しかしそれが今の我々の日常世界でどのようにうごめいて、しかも我々をある一つの方向に導いていくのかは難しい問題です。現実の社会的な絆を断ち切って、直感的な世界へ身を置けとは言うものの、一方で彼は、人間社会が国家を築き上げてきたのも、シロアリなどの昆虫と同様に、人間が元々動物的本能的にそのような社会的絆を必要としているからだと言っています。他方で、宗教家や神秘家の存在を認めながらも、彼らが希少であることで社会は保たれている、彼らのような人格が社会で多数を占めれば、もうそれは人間社会ではないとまで言っています。  
 しかしもはや人間社会ではないところで、我々がどのような感覚で生きていくことができるのかは、まだ誰にもわかりません。そこは、未だ我々が経験したことがない無気味さが漂う世界かも知れません。ベルグソンの言う生命の飛躍はあくまでも明るい未来のイメージのみを連想させます。しかしながら、真の自由には、従来の親しい意識や感覚からの離脱も伴うかもしれない。現在の我々には耐えることのできないような感覚が伴うものかもしれません。それに耐えることはできるのか。我々が普段考える自由とはわれわれに都合のよい考えにすぎないのではないのか。さらに、直観の意義を説いたとしても、それは我々の強い欲望や志向性、あるいは思いつきとどう異なり、またどう関係しあうのか。こうした問題はまだ課題として残ります。小林がベルグソン論を完成できなかった理由の一つが、こんなところにもあるような気がします。そこの空白をベルグソンや小林が、物理学の最先端の成果で補完しようとしたところにも無理があったのかもしれません。小林本人もどこかで同様のことを言っています。  

 冒頭述べたように、記憶と物質の関係や直観の意義について新たな見解で我々を人類の未来へと目を向けさせたベルグソンの功績は大きいと思います。一方で私の日常生活の時間は、有無を言わさず淡々と過ぎ去っていきます。カントの考え方の延長と厳しい自己研鑽に励み、欲求を克服して、この世で自己実現を図るべきだというインドのアーチャリアの素朴な考えに影響を受けながら。  
 アーチャリアは言います。我々はいつも心に感じなければならない。すべての人々は一体であり、すべての人々に愛をいきわたらせなければならないことを。しかしカルマにおいては、行動においては、めいめいが異なっている。これがヴェーダの教えなのである。と。自己研鑽に励む個々人の孤独な歩みは、実は人類全体の流れの中で、お互いが響きあい、どこかでつながっていることを述べています。  
 ベルグソンも言っています。
「すべての意識は記憶である。しかしまたすべての意識は未来の予想である。注意とは期待であって、生活に何かの注意を向けていない意識はない。そこに未来がある。未来は私たちに呼びかけている。あるいはむしろ未来は私たちを引き寄せる。この絶え間ない引き寄せによって、私たちは時間を進まされ、この引き寄せはまた私たちが行動を続ける原因になっている。すべての行動は未来に侵入することなのである。」(「精神のエネルギー」(平凡社))
 この日常生活の中で、もがき苦しむ我々一人一人の生き様は、決して孤立しているのではない、互いの苦しみや喜びの意識はどこかで浸透しあっている、未来へ向かう人類の大きな流れのなかで、どこかで連なっているのです。私も一方でまだそこに期待を持って、これからも私なりに時間とは何かを考え続けていくことができるのだと思います。   (続く)
                                             (28/01/2014)  
                                                                                     冒頭へ