IOM スキーム (IOMプロポーザルに関する注釈)
   

1 理想主義と現実主義

 1. 今回の我々の提案に対しては、あまりにも理想主義すぎて、現実的な対応ではないのでは、という意見も寄せられました。そこで、我々は、現実主義的な観点から我々の提言を振り返り、再び真の意味での理想主義的な観点に戻って、我々の提言を注釈したいと思います。
 現実主義的な観点からの主な問題は、我々の社会を基礎づけている私有財産制と国家の二つの社会的な概念に関するものです。そしてもう一つは、悪をも含めて、現実の多様な人間性を直視すべきだという問題です。

 

 2.私有財産制は、資本主義の発展によって民主主義とともに、確立されました。私が努力して獲得したものは、私の所有物だという考えは、もちろんいつの時代でも人間の普遍的な考え方です。しかしそれが何人も犯すことができない制度として確立したのは、資本主義と民主主義を擁護する国家が成立してからのことです。私有財産と国家の原理は、人間社会が歴史的にたどり着いた成果であり、我々の社会生活に深く根付いています。しかし我々は、同時に、私有財産制というバリアが確立する以前の、近所などで余剰物を分け与え合うような相互扶助の精神が、徐々に失われつつあるのを感じます。今やすべてのものが貨幣に換算されて、私有財産の増加に繋がってしまうのです。したがって、アイアーさんが、我々の提言の冒頭で語った、お菓子を分け与える幼女の話は、未来社会における所有のあり方を考える上で重要だと思います。

 

 3. 国家は、地球をチェスの盤面とみなすと、チェスの駒として対峙しあったり、協力しあったりしています。このような国家間ゲームは、現在の人類の政治的、経済的活動を大きく枠づけています。これは人間に本質的に内在する敵と味方の区別意識にも支えられています。ですから、国家がなくなっても、人々は、今度は民族や言語的文化的共同体同士が敵と味方に分かれて新たなゲームを展開するかもしれません。現実主義者は、人間のかたちづくる組織や団体は、もともとそのようなものだと考えます。理想主義者は、そうであっても、人間の未来を考えるとき、旧態依然たる国家間ゲームは終焉に向かうべきだと考えます。

 

 4.現実主義者は、資本主義と民主主義、国家が一体となった社会システムは、人類が到達した最も効率的で発展した社会だと言います。確かにこのシステムによって我々は一部で飛躍的な経済発展を達成し、多くの富を蓄積してきました。しかしその陰で、企業で働く労働者たちは、1日のほとんどを緊張を伴った労働に専念しなければならない事態に追いやられてきました。この企業と労働者の関係をどう解決していくのか、理想主義者にとっては解決すべき大きな課題です。それはもちろん社会システムの大きな変換を伴う問題です。一気に解決できるわけではありません。しかし新たなスキームを提案し続けることは大切です。

 

 5. 古来、哲学者たちは、人間にとって悪の問題の根本的な解決は不可能であると考えてきました。いつの時代にも、善悪交えた、様々な人々が様々な道徳的、非道徳的な行為を繰り返していく。これがいつの時代でも人間社会というものだと、現実主義者は考えます。一方理想主義者は、そのような現実を認めた上で、一人一人の人生にとって、道徳的な生き方とは、どういう生き方かを模索し続けることは、いつの時代でも必要であると考えます。

 

 6. 理想主義と現実主義の共通の課題の接点は、貧富の差の解消ではないかと思います。これなしには何も前に進まない。貧しいということがどんなに人々の心を傷つけ、生活を制約するものなのか。それは貧しさを経験したものにしかわかりません。貧しさのために、十分な食料、電気、水のない生活、子供に適切な教育が受けられない生活がどれほど辛いものであるか。我々は、それをすべてそのような個人やそのような国家の責任に帰して良いものかどうか。現在の世界中の紛争の火種の根本には、この貧しさから抜け出られない人々の存在があることを忘れてはならないと思います。

 

7. 現実主義者の考え方を我々は否定しません。それどころかまさにそれが現実なのですから。理想主義者は、現実は歴史的に変化していく、それゆえ、人間のより良い未来を思い描くことは人間にとって必要だと考えます。だからと言ってもちろん、いい加減な考えや言動で満足してはいけません。そこには現実主義者からの厳しい批判が必要です。
    理想主義的な考え方の方も、現実主義的な考え方の方も共に交流しながら、我々人類の未来について考えていきたいものです。そのほんの出発点というか、小さな最初の投げかけが、我々の今回の提案なのです。これから、この中に様々な疑問点や課題を見出し、その解決策を議論しながら、より充実した提案へと変えていけたら素晴らしいと思います。

  
                                                    (Kunio Oki   20 Aug 2017)

 

 

2 IOMプロポーザルへの追加

1. この提案は、人間の活動のあらゆる分野において、その大きさ、経済的または戦略的な強さ、人種、色、または成果にかかわらず、この惑星を占めるすべての国の本当に統一された形のためのものです。
  2.いかなる方法であっても、軍隊を増やしたり、強国を誇示するなど、あらゆる否定的な行動は取り除かれなければなりません。
  3.社会的、経済的、または知的なものであれ、すべての不平等は、払拭されなければなりません、
  4.この惑星から、飢え、病気、またはあらゆる障害を取り除くために努力すべきです。
  5.どこにいるかにかかわらず、人間同士の緊密な理解をもたらす努力をすべきです。
  6.そして、最終的に、この惑星に永続的な平和をもたらすことを目指して。


                                         (S.Chidambaresa Iyer. 31 May 2017 )

 

 

3 エスペラントとサンスクリット

  出発点として、私たちは全世界のコミュニケーションの共通言語としてエスペラントを選択しました。 これは完全に正しい決定であり、追求されるべきです。
 さらに、私は世界の共通言語としてサンスクリット語を提案しました。この言語は、哲学から物語まで、薬草知識から外科手術、意味論から弁証法、天文学から物質科学まで、そして体系化され、コンピュータにも優しい 文法は、他の言語にはないものです。 この豊かな言葉は、歴史の途方もない道のりのために絶滅しました。その本質的な価値と壮大さゆえに、それは時間の経過とともに、最も話され、書かれ、言及された言語として正しい位置を占めなければなりません。 国連の新しい憲法を制定する際には、世界共通言語の一つとしてサンスクリット語を提起するべきです。 IOMスキームの創始者として、これを確実にするのが私たちの義務です。

                                           (S.Chidambaresa Iyer. 30 May 2017 )

 

 

4  人類にとっての永遠の5つの原則

  要約すると、新たな国連は、AHIMSA、SATYAM、ASTHEYAM、SOUCHAM、INDRIYA NIGRAHAMの人類のための5つの永遠の原則によって導かれるべきです。 これらの言葉は、すべての個人および国に適用される人間の行為に関するサンスクリット語です。
1. AHIMSAは、暴力であるHIMSAとは対照的に、非暴力を意味する。もう少し積極的な意味としては、人々の間でよりよい理解を生み出す親切さを養うことです。
2. SATYAMは、真実を意味します。自分自身に真実な国は、他の国に決して不真実であってはならないでしょう。
3. ASTHEYAMは、つまり、他の人間や国の土地や財産を切望しないということです。
4. SOUCHAMは、清潔さ、自己らしさ、より良い環境を求めていくことを意味します。
5. INDRIYA NIGRAHAMは、自己と社会ための行動の規律を意味します。


                                             (S.Chidambaresa Iyer. 20 Jun 2017 )

 

 

 

5 国家と民族

 1. 我々は、国連改革の提言の中で、国家が解消されて、それぞれの民族に基づく自治が新しい国連のもとで担保されるべきだと述べました。そこで、我々は、国家と民族の関係について考えてみたいと思います。
 日本語では、国家といえば、国境内で最高の権力をもち、国民を統治し、国民の生活を守る存在であるといえます。しかし、英語などでは、国家は、Stateとか、Nationとか、Countryと呼ばれています。StateはUnited States of Americaのように、国ではなく、州をも表しますが、その場合、州はある程度の自治的な権限を持つ独立体を意味します。つまり、Stateを国と呼ぶ場合にも、国家権力としての意味合いを持っています。Nationは、ナショナルとして日本語にもなっているように、国を構成する国民の意味合いがあります。そしてCountryは、文字通り故郷や田舎というか、地域としての国家の意味合いがあります。我々の提言で国家は解消されるべきだという意味での国家は、Stateで表現すべきだと思います。

 

 2. 一方、民族は、英語でEthnicやRaceと呼ばれています。Raceは、日本語では人種とも訳されています。民族は人種とは違って、むしろ様々な人種が歴史的に入り混じって一つの民族共同体を作り上げている場合もあります。ですから民族の概念は、Ethnic(group)で表現するのが適当だと思います。
 現在の世界の国家は、複数の民族によって構成されている場合が少なくありません。日本のように、古来、世界の様々な地域から多種多様な民族がやって来て、ほぼ同一の文化や言語で統一されるようになると、国自体が一つの民族として表される場合もありますが、同じ国内に様々な言語、文化、宗教を持った民族が共存している場合もあります。後者の場合、共存が競合や対立、紛争に発展することは、過去にもあるいは現在でも多発している出来事です。

 

 3. 紛争に発展する場合、国家は、政権に対立する国内の民族を弾圧する場合もあります。弾圧された民族は今までの国家からの分離独立を主張しますが、国家の方は当然それを受け入れようとはしません。国家は今ある「民族共同体」のもとで、国民の生活を維持し、国としての経済的な繁栄を図って来たからです。そして今やこの既存国家に支えられた国民経済が核となって、現在の世界のグローバル経済を支えているのです。ですからスコットランドやカタルーニャのように、独立の機運は盛り上がっても、ではいざ、イギリスやスペインから離れて、今までのような平穏な生活が続けられるのだろうかという、独立賛成派の一部でも不安があるのです。それほど、現在の国家群は地球という盤面で強力な駒となって対峙し合ったり、協力し合っているのです。

 

 4. もちろん権力としての国家群がすぐに消滅して、それぞれの民族の自治が認められる社会に移行しうるわけではありません。まだまだ大国を中心とした国家間の調整で民族間の対立を解消し、世界の平和を維持しようとする試みが続くことでしょう。しかしいつかは、それぞれの民族が境界を持ち、新たな国連のもとにその存在を保証されるような社会が求められることでしょう。民族はそれぞれ固有の歴史と文化を保持して来ました。我々は他の民族の文化を完全に理解することはできません。歴史的に形成されて来たそれぞれの生活の仕方や宗教、人生の捉え方があるからです。民族同士、お互いに完全に理解しえなくともお互いの存在をかけがえのないものとして尊重し合う。それが民族というものだと思います。私たち人間社会は、そこに収斂すべきだと思うのです。そのためには、段階的に国連が生まれ変わらなければならない、というのが我々の主張なのです。

 

  
                                                      (Kunio Oki   02 Dec 2017)

 

 

 

6 人々への奉仕

  親愛なるオオキサンとマリア、こんにちは!
 私は、ここでIOMのスキームについてもっと話したいと思います。私たちの提案は、あなた方も覚えているように、普通の人々、特にアフリカ大陸の中央地域、サハラ砂漠やナイル渓谷の非常に貧しい人々への奉仕を開始することでした。情報が進むにつれて、彼らはすべて、動物と変わらないような、惨めで、荒れ果てた生活を送っていることがわかりました。彼らはそこに住む動物と隣り合わせの生活を送っているかもしれません。彼らはすべて、ヨーロッパや中東と北アフリカからの入植者から、生活が豊かになるという約束のもとに、キリスト教やイスラム教に改宗されました。しかし入植者たちはそうした約束を守ることはありませんでした。国連がこれまで行ってきたことは、それほどではなく、現在の窮地から彼らを救出するのに十分ではありません。

 彼らの状態の最も皮肉な事実は、彼らが現在の苦境を十分認識していないということです。関心のある国がこれらの地域に来て、本来原住民に残されているものはなんでも略奪していきました。アフリカなどの大部分の地域は、富を蓄積し、詐欺し、それらをヨーロッパの銀行の個人口座に預金している彼らの族長によって支配されています。これらのアフリカなどの国々は国連のメンバーであるにも関わらず、国連はこれまでほとんどこのような状況に対処しきれていません。


 私たちは政治的な権力など持たない3人にすぎません。私たちのような奉仕志向を持ち、私たちを手助けしてくれる既存の組織には、常に注目しなければならないと思われます。私たちは決して名声や富を必要とせず、これらの虐げられた人たちに慰めをもたらし、彼らの生活を意味のあるものにすることができれば満足です。私たちのプロセスは長引き、効果が現れるまで数年かかるでしょう。しかし、今始めれば、最終的には成功することができ、成功は我々を満足させるでしょう。
 したがって、今私たちがしなければならないことは、そのような組織を探し、彼らと対話をし、彼らに自発的な奉仕の重要性を納得させることです。
 私はインドの国でこれを行います。あなた方はあなた方の国で同じことを続けてください。私たち、あるいは私たち以外の誰かが、使命感を持ってそのような試みを始めなければ、そのような虐げられた人々を私たちの社会の名誉あるメンバーとして迎え入れる何もなし得ることはできません。私の意見では、今の国連は、これらの名前だけ人間であるような人たちのためになんら具体的なことができない状態にあると思います。私はあなた方に深く、人間としての関心をもってこのことを考えて、またこのことに関して私たちがどうやって進むことができるかについて、私に手紙を書くことを願っています。

  
                                            (S.Chidambaresa Iyer. 02 Jan 2018 )

 

 

7 組織の探求 (6と同様の内容)

  親愛なる大木さん、そしてマリア、お元気ですか。 私は、私たちのIOM計画についてもっと詳しく書きたいと思っています。 私たちの提案は、あなた方も覚えているでしょうが、普通の人々、特にアフリカ大陸の中央地域、サハラ砂漠地帯、ナイル渓谷などに住む極度に貧しい人々への奉仕を始めることとも繋がっていました。 情報が広がるにつれて、彼らがすべて、彼らの地域に住む動物たちと変わらない、悲惨な人生を送っていることがわかってきました。彼らは近くに動物たちが暮らす森に住んでいるかもしれません。 それでも彼らは、ヨーロッパや中東、北アフリカからの入植者たちから幸せな生活を約束されて、キリスト教やイスラム教に改宗させられました。しかし入植者たちは、そうした約束を守りませんでした。

 国連がこれまで行ってきたことも、彼らを現在の苦境から解放するには十分ではありません。 最も皮肉な事実は、彼らは彼ら自身の現在の苦境を把握していないということです。彼らの地域に関心のある国がその地域に来て、自然の恵みとして本来彼らに与えられているわずかなものを根こそぎ持っていってしまうのです。そこに出来上がったほとんどの国は、ヨーロッパの銀行の自分の口座に自分たちの富を蓄積している独裁者によって、支配されています。 これらの国のほとんどが国連のメンバーであるのもかかわらず、国連はこのことに関して、これまでに対応策をほとんど行っていません。

 

 私たち3人は、政治的あるいはその他の権力は何も持ち合わせていません。私には、私たちのような奉仕の精神を持ち、私たちを手助けしてくれるような組織と連携していく必要があるように思えます。 我々は名声や財産を必要とすることは決してありません。私たちは悲惨に打ちひしがれた人々に慰めをもたらし、彼らの生活を意味あるものとして支えることができれば十分です。私たちのプロセスは長く、陽の目を見るには多くの時間がかかります。しかし、今始めるならば、確実に成功し、その成功は私たちを満足させるでしょう。したがって、今私たちがしなければならないことは、そのような組織を探すことであり、そして彼らとの対話によって、彼らに、これらアフリカ諸国での自主的な奉仕の重要性を確信してもらうことです。

 私は私の国でこのような行動に取り掛かります。ですからあなた方の国でも同じような取り組みをして欲しいのです。そしてあなた方の友人たちにも同じような行動をとるように広めて欲しいのです。もし国連が私たちを助けるなら、それはそれでOKです。そうでなければ、私たちはこの仕事を我々自身で根気よく、希望を絶やさず成し遂げていかなければなりません。しかし、私たちの試みに興味を持っている公的な組織が我々を手助けに来るかもしれません。私たちはそのような組織を探すべきです。そして彼らに援助を求めで接近すべきです。彼らは我々の求めを認めるかもしれません。この仕事はは巨大なものであり、何年もかかるでしょう。それどころか、何世代にもわたることでしょう。しかし、それだけ尽力する価値があります。

 

           (S.Chidambaresa Iyer。 2018年5月29日)

 

 

 


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注釈

  1. 理想主義と現実主義
  2. IOMプロポーザルへの追加
  3. エスペラントとサンスクリット
  4. 5つの原則
  5. 国家と民族
  6. 人々への奉仕
  7. 組織の探求